「内柴容疑者の手形撤去へ 一時居住の宮崎・延岡市(http://www.excite.co.jp/News/society_g/20111212/Kyodo_BR_MN2011121201002531.html)」という短い記事を読んだ。
いくつか腑に落ちないことがある。
第一に、現在はまだ容疑者の段階であること。
犯罪者とイコールではない。容疑者段階において、犯人扱いすることがふさわしいのか。私には疑問だ。
無罪と判定が下った場合は、どうするのか。
第二に、たとえ容疑が確定して、裁判で裁かれた結果、有罪とされた場合であっても、内柴容疑者がアテネ五輪に出場したのは確かだし、アスリートとして残した功績にかわりはない。アスリートとしての功績を剥奪するのは、競技中の薬物使用など競技にともなった不正であるべきではないか。
第三に、有罪が確定した場合、五輪でのメダリストという社会的にある地位を与えられ、社会の模範生となるべく期待がメダリストに寄せられているという社会規範を踏まえて、そのアスリートが治安を乱したこと似たいする社会的制裁という意味合いを強調したいのであれば、撤去ではなく、別の方法があっただろう。つまり、有罪確定後に、その手形に「手錠」をかけてみるとか、をの手形を鉄格子で囲んでみるとか。その他いろいろな表現媒体と組み合わせて、社会的に制裁を加えるというデザインをするほうが、啓蒙的視点からすればより効果的ではないかとおもうのだ。