墨西哥流浪人話 ―メキシコのストリート・チルドレン問題
2018-10-09T14:10:29+09:00
louis-rain
無断での転用および転載を禁止します。
Excite Blog
メキシコ市調査結果 地点数、場所における人数
http://comex.exblog.jp/30094874/
2018-10-09T14:10:00+09:00
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――スト・チル関連項目
どこにストリートチルドレンがおったか、いわゆる調査地点の数やけど、ストリートチルドレンの凝集性が低まったこと以外あまり意味のない感じ。
アスカポツァルコをどうよんだらいいんだろう。誤差の範囲という味方もできなくはないけど。
赤字は割り出した数字
黒字は元データの数字 1,992 1995 人数 人数 合計 合計 11,172 13, 373 男 8,044 9,161 女 3,128 4,212 地点数 総地点数 515 1,214 en地点 869 de地点 177 indio地点 16 行政区 合計 11,172 A・オブレゴン 246 281 アスカポツァルコ 670 369 B・フアレス 1,017 1,132 コヨアカン 391 855 クアヒマルパ 212 136 クアウテモク 3,419 2,923 グスタボ・A・マデロ 1,128 1,570 イスタカルコ 96 406 イスタパラパ 1,162 1,742 M・コントレーラス 13 78 ミゲル・イダルゴ 983 1,022 ミルパ・アルタ 55 142 トラウアック 51 56 トラルパン 55 390 V・カランサ 1,620 1,905 ソチミルコ 54 365
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メキシコ市調査結果 ストリートチルドレンの性別・年齢別
http://comex.exblog.jp/30094866/
2018-10-09T14:00:00+09:00
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2018-10-09T14:00:11+09:00
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――スト・チル関連項目
これだけでも、大分、雑なことがわかるけど、そもそもストリートチルドレンの定義の差異も、調査主体も異なる調査を何故かガッシャンコした報告書の不思議。少なくとも、生データ扱えるならなぜ年齢のレンジあわせんかったんか?ちゅう、素朴な疑問。UNICEF(1996)の不思議。
1992年調査1995年調査ストリートチルドレンの人数割合ストリートチルドレンの人数割合合計11,172 100.0 13, 373 100.00 性別男8,044 72.0 9,161 68.50 女3,128 28.0 4,212 31.50 年齢0-5歳78 0.70 2,397 17.92 6-7歳469 4.20 2,073 15.51 9-11歳2,201 19.70 1,852 13.85 6-10歳2,670 23.90 3,477 26.00 0-11歳2,748 24.60 6,322 47.27 12-13歳4,134 37.00 ――15-17歳4,290 38.40 ――12-17歳8,424 75.40 7,175 53.65 11-15歳――4,547 34.00 16-17歳――3,076 23.00
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メキシコシティのストリートチルドレンの人数の推移
http://comex.exblog.jp/30094856/
2018-10-09T13:53:00+09:00
2018-10-09T13:53:56+09:00
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louis-rain
――スト・チル関連項目
データ整理しないといけないけど。メキシコシティのストリートチルドレンとホームレス人数についての表。
データ元は複数です。
ただ、そもそも抜けというか、定義の混乱とか、数字の信憑性とかあるけど。
children on the street
(work) children of the street
(live/sleep) ストリートチルドレン ホームレス 1992 10,152 1,020 11,172 - 1995 ※1 11,514 ※1 1,851 13,373 - 1999 13,319 1,003 14,322 - 2002 - - 10,650 - 2006 - - 10,451 - 2007 - 256 - 1,878 2008 - 123 - 1,405
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ストリートチルドレンからホームレスへ、あるいは、ナルコへ
http://comex.exblog.jp/30072090/
2018-09-27T13:04:00+09:00
2018-09-27T13:04:32+09:00
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未分類
この背景には、1997年より行われていたプログレッサ(CCT:条件付き給付、後のオポルトゥニダーデス)による児童の就学率の向上と貧困率の低下が挙げられよう。つまり、学校に行くことで給付金がでることで子どもを働かせるインセンティブよりも学校に行かせるインセンティブが働くようになったと考えられる。
これが、オポルトゥニダーデスにより対象者が拡大され、より多くの児童に行き渡るようになったことで、児童労働から始まる児童の路上生活への移行は劇的に減少していったのではないだろうか。2000年頃をピークとしてストリートチルドレンが減少に転じていることは、流入が減ったことを意味している。
が、減少は、それだけでもちろん説明できることではないだろう。
路上をみてきた肌感覚からすると、貧困政策が功を奏したというよりも、ナルコが拡大したという実感のほうが強い。通りにはそれだけ薬が溢れていったし、当初は背を向けて使っていた人々も堂々と葉っぱもクラックも見せるように(見えていることをきにしなくなっていった)。その雰囲気、背筋の凍るような空気感が通りにはいる子どもを減らしたというのはNGOの職員も2006年当時によく口にしていたことである。
ナルコは末端の消費者としても末端の売りてとしてもストリートチルドレンやホームレスをみなしていたであろうから、成人年齢に達して支援を打ち切られたホームレス(もとストリートチルドレン)はイリーガルな仕事に従事し、そのイリーガルな商品を生活圏を共有するストリートチルドレンに売りさばいたために、結果的により路上が劣悪な環境に陥った。売りても買い手も私が考えている以上に早くしぼんでいったこともあり、またナルコにとってあまり魅力的な市場ではなかったこともあり、ナルコはすぐさまに矛先を路上からコミュニティにうつした。
つまり、ストリートチルドレンを生み出していた都市下層の居住地域で、売りてと買い手を青田刈り仕出したのだ。
この効果は、ストリートチルドレンを著しく急激に減少させていった。
結果、1980年代生まれ、1990年ころにストリートチルドレンになって成人したホームレスを大量に通りに残しながら、ストリートチルドレン問題は収束に向かったのである。が、彼らの問題は、ナルコに吸収され、彼ら自身はより劣悪な環境に置かれることになった。
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なぜまっすぐに歩かないのか?
http://comex.exblog.jp/30071928/
2018-09-27T11:15:00+09:00
2018-09-27T11:15:18+09:00
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未分類
何のことか?といわれそうだが、彼ら・彼女らがくねくねしたりフラフラしていたりするわけではない。
A地点からB地点まで向かうとき、それが徒歩であれ乗り合いタクシーの利用であれ、最短ルートを辿らないという点だ。
乗り合いタクシーの場合は、そのものがくねくね走行するので最短ルートを通るように乗り降りすると、金銭的コストがかかるといってしまえばそれまでではあるのだけれど、それとは別に彼ら・彼女らの空間認知(知っている場所をどのようにつなげるか)が関わってもいるようだ。つまり、大きなターミナルを彼ら・彼女らはあまり利用せず、通りから乗ることを好む。それは、大きなターミナルで自分がどこにいて、A地点に向かう乗り合いタクシーにのるためにはどの降車場に移動しないといけないかを把握することが難しい。だからこそ、A地点に向かう乗り合いタクシーがとおる道路で彼らは待って、行き先表示や運転手への声かけで乗り込むのだ。文字を自由に使えない、言語コミュニケーションの量を減らすことによるコンフリクトの回避、知りえないキャパシティを超える場所の移動を避けることによるフラストレーションの回避などを行っているのだ。
なかには空間認知に優れている者もいて、そうした者は比較的自由に乗り物を利用する。しかし、それでも乗り合いタクシーを自在に利用できるのはごくごく一部で、間違えることの少ない地下鉄、聞く必要がすくない地下鉄を選ぶ。そして地下鉄を選んでも、比較的直線的に動くのかと思いきや、道草を食う。出入り口の商店を冷やかしたり、覗いたりしながら、彼ら・彼女らはまっすぐに目的地に向かわないのである。
では、徒歩ではどうだろう。
それが実に彼ら・彼女らはくねくね曲がる。1回曲がれば着く徒歩10分の距離を、5回ほど曲がって30分かけて歩くのだ。合理的でなさそうに見える彼ら・彼女らのあるき方は、彼ら・彼女らの生活を知れば知るほど、合理的であることに気がつく。それは、安全を確保し、安心を提供してくれる他者を目印に、その他者との関わりを優先して移動しているからだ。目的地に行くことが第一の目的ではなく、目的地に移動する最中に誰と出会い・誰と言葉をかわし・誰と信頼関係を保つかを第一の目的にしている。だからこそ、余計と思われる20分をかけて過ごす。
彼らの曲がる場所、曲がる少し先にある、誰かを知っていれば、彼らに必ず出会うことができる。その誰かをフィールドのなかで知っておくことが大事だ。
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アンドレの愛
http://comex.exblog.jp/30070442/
2018-09-26T16:29:00+09:00
2018-09-26T16:29:22+09:00
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未分類
それが、長いトンネルを抜けて、薬物を絶って貧しさの中にありながらも日々暮らしていけるようになった。
本当に、薬なしで、2人座って話をして、暮れる夕日を見れたとき、生きていてよかったと思った。
彼を生かしたのは、貧困と彼の怪我によって子捨てをしたとはいえ、怪我をするまでの間彼を愛した母であり、その捨てられてからの彼の傷と共に歩み続けてきたレイナの愛だったと思う。生き続ける希望と、生き続ける最後の風よけとなる愛を、彼は得ていた。
レイナは本当に太陽のような温かい人柄で、よく笑い、人懐っこかった。彼女と出会えたキセキは、彼が生きる土台となって今も息づき、奇跡を続けさせている。
目に見えないもの、無形のものがもたらす最後の選択肢でのヒキは、もしかしたら有形のものよりも偉大なのかも知れない。
愛や希望、祈りを
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ストリートチルドレンとホームレス
http://comex.exblog.jp/30070413/
2018-09-26T16:12:00+09:00
2018-09-26T16:12:16+09:00
2018-09-26T16:12:16+09:00
louis-rain
未分類
それでも、ホームを前提とする暮らしぶりからの逸脱ととらえるホームレスの概念は、ストリートチルドレンとは全く異なる。ストリートにいる、野良のような人々(callejeros)への差別を含みながらも、ストリートにいることその現象そのものをネーミングにしているのだから。
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オポルトゥニダーデス
http://comex.exblog.jp/30070404/
2018-09-26T16:07:00+09:00
2018-09-26T16:07:07+09:00
2018-09-26T16:07:07+09:00
louis-rain
未分類
これが一番きいているのは末端の農村の子どもたちと都市下層の子どもたちだろう。しかし、彼らが階層間移動を可能にするほど教育効果はないだろうし、まして正規雇用が広がらないラベイでは大量の貧困層から中間層を作り出すことには大きな寄与はしないだろう。
それでも、末端の、明日死ぬかも知れない子どもたちのいのちがつながる。この点において最大限の効果を発揮しているだろう。
ただ、言い切れないけど、ナルコとの兼ね合いの中、生き残った彼らの困難さを吸収することができない現状が続いていて、明日を保証することが教育機関にいる間だけであろうことから、近い将来が保証されないだろう。こんな状況で、1993中学校の義務教育化、2013年高校の義務教育化がなされて、生きる希望が18歳までかろうじてつながっている。
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ストリートチルドレンの寿命
http://comex.exblog.jp/29695740/
2018-04-03T14:17:00+09:00
2018-04-03T14:17:31+09:00
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――スト・チル関連項目
尊敬するFerguson, K.の論文を検索し、読みながら子どもの通りで働いたり暮らす現象をストリートチルドレンと呼んりストリートユースとよんだり、ホームレスユースとよぶ。同じ研究者が使い分けをしているあたり、この辺ほれば面白いなと思うわけです。
歴史的な使われ方のお作法に則っている部分もあるけど、明らかに、ファーガソンは意図的にワーディングしているふしがある。苦手ながらも、ねちねち読んで、読みたい。お手頃にも、DOIが示されている論文ばかり。
話はさておき、久しぶりに書こうと思ったタイトル。
「ストリートチルドレン」「寿命」というまま検索があるので、雑記。
国によって、ストリートチルドレンとする年齢には若干のばらつきがあるものの、国際的には18歳未満。
なお、ホームレスユースとか言葉が変わると24歳まで扱うこともある。これは、アメリカが施設から里親制度利用に変えてランナウェイズを減らしてきたなどの歴史的経緯もあるけど、言葉が違うので別物。同じ現象を指しているけど。
で、18歳未満に限定されるストリートチルドレンのうち、0歳児のストリートチルドレンというを想定して寿命とよんでいるのか、8歳ぐらい(自力で路上にやってくることのできる一般的な年齢)のときの残りの余命のことを寿命とよんでいるのかよくわからないんだけど、第一に18歳未満で死亡するストリートチルドレンはそれほど多くない。現在、多くの地域でストリートチルドレン支援が行われいるから。
18歳未満の死亡は、主に、麻薬関連による栄養失調や事故、抗争に巻き込まれるほか、火事、交通事故、通り魔的な暴行事件、政府や一部市民などによる暴力的な一掃と排除行為、HIV感染などを原因としている。それでも、こうした原因で死に至る18歳未満はそれほど多くない。
ほとんどのストリートチルドレンは、通りまたは支援団体、塀の中のいずれかで成人年齢に達する。つまり、19歳を迎える。成人を迎えると、支援団体は減るので、通りで自力で生き抜くか、ごく僅かな支援を頼りに通りではない生活に移行する努力を重ねるか、塀のなかで過ごすか、家族のもとに帰るかといった選択肢がある。
支援が地域内でどれくらいの期間実施されているかにもよるけれども、18歳以上になって支援を受けられなくなる年長者のストリートチルドレンをみてきた若年者のストリートチルドレンは、大抵の場合16歳17歳と成人年齢に近づくに連れて危機感と共に何らかの努力を重ねる。つまり、支援を受けてストリートチルドレンをやめるか、やめようとしている姿を見せることで支援を引き伸ばすか、通りで生きるすべを拡大させていくかだ。
残念ながら、一介のストリートチルドレンが何もせずに住居を手に入れて、最底辺に近しくても途上国の貧困層と変わらない水準で安定的な生活をおくることは容易ではない。だからこそ、成人に近づくと努力するわけだけれども、その努力が劇的な生活改善をもたらすケースはあまりない。
薬物を断ち切って、ストリートベンダーとして安い一間を借りられるようになる、彼氏または彼女の実家に転がり込んでインフォーマルな仕事に精を出す等で、都市下層から這い上がることはかなり困難だ。
けれども、少なくとも、都市下層の末端の生活を手に入れられれば、日本でかつてシンナー遊びしていた方々もそれなりにいい大人になっているように、アル中や薬中であってもそれなりに生活しているように、「それなりに」生きていくのだ。
ストリートチルドレンが都市下層となった場合の寿命が、その他の都市下層とどの程度違うのかは推計が容易ではないし、統計的数字もでていない。まして、ストリートチルドレンが通りで成人してホームレスになった場合も統計はない。
寿命そのものを測定することはまず無理であるが、経験的に知り選ている情報のなかから言えることは、ストリートチルドレンが都市下層となった場合はさして大きく短命であることはない。元ストリートチルドレンの40代、50代はそれなりにいる。ただし、すごい長生きでもない。もともと通りに出ざるを選ないような環境で過ごしているにもかかわらず、通りにでるまで成長できている時点で結構頑丈な身体を持っていることと、そうはいっても、まっとうな暮らしぶりではなかった時間の蓄積によるダメージが長くも短くもない寿命にさせているのだろう。
他方、ストリートチルドレンが通りで成人してホームレスになった場合は、もう少しシビアだ。20代で事件・事故に巻き込まれる者は少なくないし、訳注状態が長期化するので身体的なダメージもある。投獄されるリスクは未成年でなくなった時点から跳ね上がり、獄中友達の回してくるハイリスクな仕事に加担することになるとよりリスキーになる。通りで20代後半から30代にかけての知人が歯が抜けるように欠けていく。
正確な数字には表せないけれども、ストリートチルドレンとなる子どもたちの生涯にはいくつかの選択によってかなりの異なりがでてくる。
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E
http://comex.exblog.jp/28209395/
2017-10-10T17:10:00+09:00
2017-10-10T17:10:52+09:00
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louis-rain
――スト・チル事例研究
標高2000メートルを超えるシティのガタガタ道を1日25キロを歩き、彼を知る人を探し出しては居場所を知らないかを聞き、私がメキシコにいることを知らせてほしいと伝え歩いた。風の便りで彼が生きているということが確かだとわかると、足の痛さや疲れは消えた。それが続いた3日目、ついに彼とコンタクトを持っている女性に出会えた。彼に私が来ていることを伝えてほしい旨と、何時にどこを通るかを聞き出して、その翌日、少し前から私は彼を通りで待った。
けれども、既に彼は通り過ぎていたのだ。彼女にイラスト入りのメモを託し、彼を引き止めておいてもらえることになって、通りでの仕事をしながら、彼との再会を祈った。RとHの交差点を渡って、駅入口前のグアダルーペの顔を見て、なんどとなく切ってきた十字を手で描いた。カトリックでも、グアダルパーノでもないけれど、彼の神様であるならば、きっと彼に会いたいと願う私の気持ちは汲んでくれる。
Eの彼女が亡くなったあの苦い思い出を噛み締めながら、グアダルーペに祈るように歩みを進めた。その瞬間、今は使われなくなったバス停の椅子に腰掛けてワラチェらしきものを食べる彼が。
その日、ようやく再開できたEはすっかり薬物を抜いて、働き、あるき通しの疲れた笑顔で手広げてケオンダ?とポーズを決めた。薬物をやめたからかふっくらとしていた彼は、面影から間違いなく彼であることがひと目で分かり、同じくケオンダのポーズをとった。挨拶もそぞろに、ごめんよ、飯くっている。(私)も食うか?と言いながら、座れとジェッシャー。久しぶりすぎてお互いに忙しない。何から話せばいいのか、何を相手にしてあげようか、ととにもかくにも忙しかった。ご飯をおごるという彼に、それはそうと本当に元気そうだからうれしいんだと返し、何歳になった?と1つしか変わらない年を再確認して、お互いもうそんな年かとわらう。触れ得ぬ彼女の話をしないままに、今お互いが何をなりわいとしているのかや、その調子がどうだとか色んな話をしていたら、あっという間に日が暮れ始めた。
定宿で生活しているという彼に、宿の場所を教えてくれるというのでついていった。
サルコを北に、そこからはあの店の角を右、この店の角を左へとうねうね歩いていったが、あるきなれた道。知らない道はなかった。
それでも彼と歩くと景色は変る。彼が挨拶をするセーニャ。見慣れない顔にぎょっとしながらも、彼が私を日本人の友人だと紹介するとFBでいいねを押すかのようにやんわりとつながり始める。街は、誰が誰を知っているかによって、その誰であれるかによって見え方が変わる。中に入れるかどうかだ。特に治安の良くない場所で身分証明書となる顔役を持っていることは大いに心強い。
あちこちに挨拶をしながら、通りを右に左に進んでいく。直線的に歩けば早いのに、彼らは曲がるのだ。曲がることに、意味がある。挨拶をする相手がいる。彼が通る街は無機質で遮断的な閉鎖空間ではなく、どこまでも知り合いが連なり賑やかな祭りのような開けた場所だ。
彼が歩ゆんできた作り上げてきた関係性の中においてもらいながら、見る街。その先にある定宿。
ようやくついた宿は、紫色の外壁に彩られたけばけばしいところだった。無理もない、5ブロック先には男娼街がある。タクシーなら15ペソもかからない。
その宿の前で中に入っていくか?と聴いた彼に、今日はいい。今度また、何かのときによせてもらうといって長い挨拶がかわされた。その間、握りしめた手は、重い荷物を背負って毎日何キロもあるきながら商うために毎日何千、何百と松葉杖を前に動かすために固くさかむけていた。
その手を何度も振りながら、互いに会えたことを喜び、また会うことを約束した。
ーー次も、会える。その確信がなぜかあった今回の調査旅行が終わって1ヶ月、メキシコ市を地震が襲った。
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ストリートチルドレンの2類型
http://comex.exblog.jp/28209334/
2017-10-10T16:41:00+09:00
2017-10-10T16:41:28+09:00
2017-10-10T16:41:28+09:00
louis-rain
♪♪イベント紹介♪♪
子どもの社会化エージェントはその年令にもよるだろうけど多層的だろうし、そもそも貧困層のストリートベンダーをなりわいにしているそうは、親世代自体が路上の互助集団の中で生きている。もちろん、概念化のために削ぎ落としてきた結果でもあるんだろうけれど、路上と家族は対立するものではなく、もっと平行的な関係な気がする。
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テポストラン行き
http://comex.exblog.jp/28110254/
2017-08-31T14:22:00+09:00
2017-08-31T14:22:04+09:00
2017-08-31T14:22:04+09:00
louis-rain
☆墨西哥★海外★情報☆
なお、プエブロ・マヒコについては
https://www.visitmexico.com/es/donde-ir#Pueblos-magicos
に、一覧があるのと地図上に地点が表されるので観光先を探すには便利です。
タスケーニャから南バスターミナルに行き、OCCのバス会社から20分おきぐらいにテポストラン行きのばすは出ています。1人126です(子どもは基本半額)。行き帰りの往復チケットを帰りアビエルトで買い、バスに乗り込みます。ただし、バスの最終目的地は違うところなので、運転手にテポストランでおろしてねといいましょう。週末は観光客が多いので必ずバスの運ちゃんが声をかけてくれますが、平日に行く場合はひと声かけておくと小さいバス停でもおろしてくれます。
今回は登山の予定があるので、水を凍らせ、朝食をバスの中で食べられるようにサンドイッチ持参で、朝早めに出てきました。
バスに乗っている時間は1時間ちょっとぐらいなで、朝6時半から7時に宿を出れば9時半ごろにはテポストランです。高速を降りるとグルっと回って山間のガソリンスタンド前の小屋に降ろされるので、そこがバスターミナルです。帰りの乗車もガソリンスタンド前の小屋にあるチケットセンターで座席を書き入れてもらうことになります。
セントロまで乗り合いタクシーがでていますが、一度言ってしまうとしばらく戻ってこないです。タクシーはセントロまで30、登山口まで40なので、朝イチの涼しい時間に山に登る方が良いため、そのまま登山口までかっ飛ばしてもらい・・・と言っても人の多い細い道を走るのでゆっくり(笑)
登山口スタート。
飲食店のある暫くの間はトイレがあるので、しっかり有料トイレで用を済ませてから、登り始める。
走って登る人は上り20分、下り10分と豪語しているけれど、普通に登ると1時間ちょっとかかります。景色もいいので2時間観て置くといいでしょう。我が家は子どもと年金生活者とともに登っていたので、途中途中水やポカリをのみ、雨やクッキーを食べて1時間半ぐらいかけました。途中、小さな滝や澤があるので、足場が悪いとこともありますが、関西で言うところの金剛登山が出来るレベル、関東で言うところの高尾山登れるレベルであれば問題なく登れます。途中途中、石で階段が引かれており、足場は殆どの場所が石でしっかりと固められているので歩きやすいです。最後の急階段はちょいとビビりますけどね(笑)
日曜日は入場料フリーでした。
穴熊がお出迎えしてくれるエントランスをすぎると、入場料の支払い所があって、ピラミッドに登れます。
登ったかいのある景色が楽しめるのでぜひ。
上りの半分ぐらいの時間でくだると、ちょうどお店やさんもあいて街が賑やかに。物価はシティより高いですが、観光客向けにトラディショナルなメキシコ料理を扱う店やアランダノを使った物を売っているのであれこれ楽しめます。また、ニエベ(シャーベット)屋さんが多く、あちこちにあるので食べ比べはもちろん、メキシコならではの味があるのでマメイやマンゴーチャモイなど幾つかの味を楽しめます。
我が家はアイスを食べてからぶらぶら街をして、市場と修道会をみて、その近くでプレヒスパニック時代からの食べ物との触れ込みのあったクアテカモテを食べました。色んな種類がありますが、ざっくりとざーーくりとまとめるとお好み焼き(笑)
ま、我が母親は何を食べだすのかわからない娘にドン引きしながら、まぁ孫もおいしいって食べているし・・・みたいな顔で私を観ていましたが。どこでも食べれそうなものに手を出さないので、変わったものばかり食べさせてしまって申し訳ない反面、私ガイドならではな感じを楽しんでもらえれば・・・と(笑)
その後、土産物市をぶらついてからバスターミナルまで歩いていくという娘のリクエストでぶらぶら歩道をあるいて20分ほどガソリンスタンド脇の小屋にたどり着きました。
9時半着、10時前から山登り開始、13時下山、13時半アイス、14時市場から修道院、14時半昼食、16時バス停着、17時シティ到着という感じでした。
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パチューカ行き
http://comex.exblog.jp/28110176/
2017-08-31T13:45:00+09:00
2017-08-31T13:54:46+09:00
2017-08-31T13:45:28+09:00
louis-rain
☆墨西哥★海外★情報☆
娘はこれで3回目のメキシコ滞在になるのですが、彼女のリクエストでパチューカに行くことになりました。
パチューカ、といえばホンダ選手?となってしまうご時世ですが、もともとイギリス人街としての歴史があり、銀山に囲まれたパチューカはプエブロ・マヒコに指定される前から密かに人気のかる観光地ではあったのです。私も留学していた当時から、何度も訪れており、大好きな街です。
シティからは北バスターミナルまたはインディオスベルデス駅からパチューカ行きのバスにのれます。現在は12-20分に1本でており、ターミナルに行ってチケットを買えばすぐに乗れます。
行きは4人だったので並びで座れるようにと、北バスターミナルから行くことにしました。バスターミナルの中央に、フトゥーラのバスがあり、そこが往復チケット割引10%とあったので、帰りは時間を空欄にするアビエルタにしてレドンダのチケットを買いました。行き102、帰り91ペソです。帰りは帰りのバスターミナルで座席指定する必要がありますが、行き同様に20分おきにバスがあるので座席指定してトイレとバス内で食べるお菓子の買い出しをすればちょうどかとおもい、そうしました。
バスチケットを持って乗り場に向い、スタッフにチケットを見せて乗るバスを聞いて、荷物チェックを受けると(男性は身体検査がある)乗り込めます。バスにはトイレがついているので、気にならなければバスターミナルの有料トイレを使わずに、バスのトイレを使うこともできます。
シティから1時間から1時間半で、白っぽい岩の間をしばらくはしるとパチューカのターミナルです。ターミナルを出ると過ぐにスタジアムがあるので、パチューカ観戦をすることも可能です(昔・・・ベラクルスに遊びに行って、そのベラクルスの知人がサッカー見に行こう!ってのりになってパチューカのスタジアムでプーマスを応援しに行くというオカシナ出来事が・・・懐かしい思い出です(笑))。
が、娘のリクエストはチコやグランデ、アトトニルコ、トゥーラなど様々な場所に行ける中、レアル・デル・モンテやイローチェあたりがいいとのこと。セントロまでいく乗り合いタクシーに乗るため、スタジアムとは反対側にバスターミナルを歩いていくと公共トイレの前に小さな屋根のついた3-4台分のコンビ乗り場が。そこの一番手前、トイレよりのところからセントロ行きが出ているので、1人8ペソで乗れる。もちろん3-4人であればタクシーでも同じぐらいの料金で行きます。運ちゃんに、セントロ行きかを訪ねて、大丈夫と言われたらのりましょう。
しばらく走って、カラフルな街を右手にちょいと見たら、旧市街の雰囲気のある凸凹道、真ん中が芝生になっている広場のかどで降ろされます。10ぷんぐらいかな。このあたりは教会も、ビッグベンも、パステ屋さんもあるので、のんびりと食べ歩き観光をするのも手です。フアレス市場の方に行けば、運が良ければ蜜ありが売っていたり珍しいものに出会えます。また、チコやイローチェなどに行く乗り合いタクシー(ミニバン)は教会から先、市場のあたりから出ているので、行き先を確かめながら乗り場を聞きましょう。
今回はレアルだったので、市場の向かいから。一人12です。タクシーだと50-70かかります。バンが満員になるまでしばらく待ちますが、それほど時間がかからないので待って置くといいと思いますが観光時間が短い場合はタクシーを。
山道を20分ぐらい猛スピードで飛ばすと銀山で使用していたエレベーターが見えてくるので、そのあたりがイローチェです。2005年にしまった最後の銀山(竪穴に入れ地下200メートルまで降りられた)がありますが、いまは観光用にはオープンされていません。鉱山(横穴のみ)に入れるのは1箇所だけですが、銀山跡をミュージアムにしている場所は4箇所あるので気をつけてください。
おすすめは、かんなりしょぼい感じのする溶接感丸出しの2階建て観光バス、1人50に乗ることです。これは、電線突っかかったら死にまっせー――っていうスリルを味わいながら、幾つかの鉱山をめぐってくれます。乗り場はバス停の近く、教会前から出てます。本数も増えて今は30分も待たずに乗れ、所要時間1時間ぐらいで街をぐるっと1週してくれます。チープな感じがするバスですが、年々アナウンスも向上し、結構街の歴史や建物の説明をしてくれます(ただしスペイン語)。景色を楽しむだけでも乗る価値はあります。
街を観光バスでぐるっとしたら、あとは好きに街を歩くもよし、パステを食べ比べるもよし、共同洗濯所や鉱山に行くもよしです。隣の町までも小さなコンビが出ているので土地勘ができれば小さな鉱山町を見て回れます。
個人的には1日での観光は難しいので2,3日以上の滞在予定を立てることをおすすめしますが、日帰りでも十分に楽しめる小さな町がいくつもあるのがパチューカのいいところです。
レアルからは、美術大学の前のバスのりばの、前方からセントロ行きが出ているます。セントロからバスターミナルからはバスを降りたところから進行方向に進んでいった広場の端っこから出ています。料金は行きと同じなので、急いでいればタクシー、急いでなければ町並みを楽しんでから変えるのもありです。
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おだやかに死に向かう
http://comex.exblog.jp/27755291/
2017-04-25T11:48:00+09:00
2017-04-25T11:48:57+09:00
2017-04-25T11:48:57+09:00
louis-rain
――スト・チル事例研究
そして、以前にもまして薬物に溺れ、足腰もおぼつかなくなり、日がな一日立ち上がることもなく過ごすようになったのか。
死を、穏やかにそこで迎えようとしているようにしか思えなかった。
そんな彼に、娘を合わせて、彼女の思い出話をした。
彼の目が一瞬輝き、また暗闇に、淀みに落ち込んでいく。
娘の名を精一杯覚えようと、「みさこ!みさーこ」と何度も口にし、娘に手を伸ばす。
手が触れたとき、彼は微笑んでいた。その瞬間、彼は生きること、その希望を取り戻していた。
その希望も、一瞬の後、淀みの中に崩れ落ちていく。
彼は、チェもを口に当てて吸い込んだ。
吸い込む口からよだれが垂れ、ろれつが回らなくなり、ぼんやりと「ひとみ・・・」とたるんだ表情筋で力なく笑った。
僕はお母さんに愛されていない。
そうかつて語ったときに見せた笑顔に通ずる笑み。
彼は、死を望んでいるようだった。穏やかに、逆らわないという方法で。
そして、最後を、彼女と過ごした、彼女の過ごした交差点で迎えようとしているようだった。
死のうとする、非常に消極的にではあるが確実にそうしようとしている友を、見殺しにしなければならなかった。
生きていてほしい。
彼は交差点に、いるのだろうか。
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「居場所」他ストリートチルドレン言説
http://comex.exblog.jp/27738955/
2017-04-19T13:47:00+09:00
2017-04-19T13:47:40+09:00
2017-04-19T13:47:40+09:00
louis-rain
――スト・チル事例研究
なぜなら、情報源が同じだから(笑)殆どが、現地NGOの顔のしれた何人かのスタッフや、そこで働くJICA派遣の隊員、または留学での実体験。
ワーディングが雑になればなるほど、実体験&未確認の聞き取りをベースとするなんとかしなきゃ感覚がつよい文面。
さかぐちさんは、間違いではないけど、インナーシティエリアをスラムと書いている。
今は殆ど私自身使いにくさを感じてつかえないけれど、昔よくつかっていた「居場所」と「居心地」これはストリートチルドレン研究につきまとう邪念のようなワーディング。現場でよく使われるストリートチルドレンに関わる特有のワーディングだと思う。居場所を失うとか、居場所を見つけるとか、ストリートチルドレンが都市のどこにいるのか、誰といるのか、どのようにいるのかという具体的な説明を差っ引くために用いる現場感覚では非常に有効なワーディングだと思うのだけど、このトラップに引っかかると、どこに、だれと、どのようにがおろそかになる。
おろそかになった研究らしきものが量産されすぎて、すでに専門用語化しているフシがある。
このトラップにまんまと長年ひっかかってきた私が書くのもなんだが、そろそろ使うのやめましょ。
どうでもいいことだけど、ストリートチルドレンとして顔出ししている子達が結構な頻度で知っている子・・・これ、顔出しOKな子が少ないからなのか、活動地域かぶりなのか、そもそもそんなにストリートチルドレンがいなかったってことなのか
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