いやーな作業をしている。
ストリート・ベンダーのライフヒストリーを書いているのだ。今書いている人は、私が最も憎んでいる人だ。そのライフヒストリーを、感情移入せずに書かねばならない。
1人の、貧農、インディオが、仕事のためにDFにやってきていこう、失職し、ストリート・ベンダーとなり、結婚し、子どもを設けた話。その子どもは、家庭内不和、虐待、遺棄の結果、ストリート・チルドレンとなった。そして、路上で死亡した。
子どもの側から書けば、ひどい母親だ。
一方で、彼女の側から、生家を離れて働きに出た先での戸惑い、スペイン語さえ話せない自分への、そのような自分を作り出した社会への憤り、ストリート・ベンダー以外での就労機会のなさ、夫の不貞、子どもを路上生活者に追い込んだ責任、哀しみ・・・至らなさとやるせなさを書かねばならない。
彼女が、子どもの命を奪おうとして路上に追いやったのではないことを認めつつ、子どもが捨てられてなお、親を愛していたことをしりながら、それでも、私は子どもを保護せず行路死亡させた親である彼女が憎い。
頭での理解を超えて、感情が先走る事例を、どう文章におこしていけばいいのか。模索の始まりである。