カサ・ダヤにおけるストリート・エデュケーションの導入と現状についての報告をする.奇しくも設立から10年を数える今年,カサ・ダヤは既存の女子ストリート・チルドレンに対する定住型支援に,デイケアを加える決定を下した.デイケア導入の背景には,現在,ストリート・チルドレンの社会復帰施設として出発したにもかかわらず,カサ・ダヤが扱う子ども達のほとんどがストリート・チルドレンではないという現実にある.また,カサ・ダヤの経営不振が挙げられる.
まず,ストリート・チルドレンを扱っていないことから話を始める.カサ・ダヤは,1997年当時,女子ストリート・チルドレンに対するケアの必要性と,彼女達に対するケアが皆無の状態を打破すべく,ビクトリア・タルボによって設立された.女子へのケアは,必然的に彼女達が抱える息子・娘への支援を含めることとなった.女子ストリート・チルドレンは,当時から路上生まれの子どもの問題を含んでいたのである.
子どもを抱えながら路上で生きる女子ストリート・チルドレン支援は,路上にいるシングルマザーとその子どもへの支援となった.妊娠がわかった段階から入所ができ,カサ・ダヤは出産,育児ができる唯一の施設として,女子ストリート・チルドレンから信頼を置かれ,社会復帰施設としては稀なほど子ども達が入所を希望する状況が生まれ,一時は入所が困難な状況もあった.
しかしながら,こうした状況は長くは続かなかった.女子ストリート・チルドレンを対象とする施設が次々に開設された.ケアがなく,競合相手がいなかった状況からは一転し,女子ストリート・チルドレンは,受ける支援を選択できるようになった.彼女達は,出産,育児支援よりも,堕胎斡旋支援や里子支援を選んだ.女子ストリート・チルドレンが,子どものために社会復帰を遂げるという時代は終わり,妊娠がわかっても路上でいることを選択し,社会復帰しない・したがらない時代に変ってきたのである.
結果,カサ・ダヤは女子ストリート・チルドレンにとって魅力ある施設ではなくなった.むしろ支援の充実を図り,個室化,ファシリテーターの拡充などを行ったために,コストが膨らんだ.人が近くに感じられない施設へと変化した.ファシリテーターによる「監視」が強まった.ストリート・チルドレンからすれば,カサ・ダヤはケアの質は高いとしても「窮屈」な施設なのである.
一方で,空き室となった部屋は,DIFや他のNGOの紹介でやってくる貧困層出身の母子にあてがわれるようになった.彼女達は,ストリート・チルドレンになる可能性を持った若いシングルマザーである.危機的状況にある子どもに対する支援としてカサ・ダヤでは位置づけられている.
危機的状況にある子どもに対する支援は重要ではあるが,同じ施設を用いて,全く違う性格を持つシングルマザーを同等に扱うことによって支援のゆがみが生じていった.危機的状況にある子ども達は,学校経験があり,多くが小中学を卒業しているか,在籍段階で施設を移ってきている.また,専門学校や高等学校に在籍している者もいる.ストリート・チルドレンとは比べものにならないほど勉強ができるのである.
家での経験を比較すると長く持っている危機的状況にある子ども達は,ストリート・チルドレンに比べれば家族との良い思いでを持っている.家でのしつけを受けてきた.家事や育児といった日常生活態度においても,危機的状況にある子ども達は,ストリート・チルドレンに比べると格段に良い.
様々な状況で比較され,劣等感を持たざるを得ない状況は生まれた.さらに,ファシリテーターは,子ども達に対してラベリングを行い,路上からやってきたシングルマザーに対しては,最初から「できない」「態度が悪い」「手がかかる」などネガティブな印象をもって接している.
2005年ごろまでは,ストリート・チルドレンであった者の方が数的に多かった.そのためレッテルを貼られようが,劣等感を持とうが,子ども達は,団結し,慰めあうことで,目標を達成してきた.また,危機的状況にある子ども達が,リーダーとして,見本として生活することで,カサ・ダヤの社会復帰率は高まっていた.
こうした状況が崩れたのは,ストリート・チルドレンであった子ども達が社会復帰した後に,危機的状況にある子ども達が入り,子ども達のバランスが崩れたことにある.同時に,入れ替わりが激しいファシリテーターに,資質上問題があるものが就いたことも,ストリート・チルドレンがカサ・ダヤに入所しなくなっていった重要な要素である.ファシリテーターは,より仕事が容易な子ども達を好むようになり,ストリート・チルドレンを排除していったのである.
ストリート・チルドレン支援に始まったカサ・ダヤは,ストリート・チルドレン予防支援としては果たす役割を持っているにしても,支援の本流からはずれ,本来果たすべき役割を果たせなくなっていた.ところが,2007年大統領が,フォックスからカルデロンへと代わり,ストリート・チルドレン問題を取り巻く政府政策の転換が図られるようになった.
メキシコ政府は,ストリート・チルドレンを路上から排除し,各施設に受け入れさせ,名実共にストリート・チルドレンがいないDFを目指すようになった.カサ・ダヤもこのあおりを受け,ストリート・チルドレン支援に梃子をいれることとなった.再度,女子ストリート・チルドレンの社会復帰施設としての役割を求められるようになったのである.
ところが,既に述べたように,女子ストリート・チルドレンがカサ・ダヤに憧れる時代は終わっていた.カサ・ダヤは,定住型施設を運営する上で,ストリート・チルドレンからの信頼を再度得る必要があった.今まで通りに,他のNGOやDIFを頼ることはできないため,ストリート・エデュケーションを導入したのである.
ところが,定住型施設として出発し,設立当初から2005年まで設立者のカリスマに頼った運営を続けてきたカサ・ダヤは,ストリート・エデュケーションのための知識・技能に欠け,必要な人材も得られる状況ではない.ストリート・エデュケーションに必要な,デイケア・センターの設備投資は政府からの資金援助も得て,建設段階に入ったが,ストリート・エデュケーターの確保はできていない.
ストリート・エデュケーターに関しては,ファシリテーターとして働いていたスタッフを当てている.もちろん,全くの無経験者である.無経験を補うために,デイケアやストリート・エデュケーションを行っているNGOと定型し,技能教育を実地で行っている.しかし,提携先のNGOは,技能面,知識面,組織力どれをとっても未熟であり,ストリート・エデュケーションを行なえているとは評価しがたい .
コーディネーターと施設運営者は,ファシリテーター以上にストリート・エデュケーションに無知である.企画力も,運営力もないままに新たにストリート・エデュケーション部門だけを開設した状態なのである.
この無計画な実施が,定住施設の運営にも悪い影響を与えている.ファシリテーターの減少に伴う生活支援の質の低下,超過労状態によるファシリテーターの不満,未経験なボランティアをファシリテーター代わりに流用することによる弊害等である.カサ・ダヤは,こうした悪弊きわまる状況にたった2ヶ月間で陥ってしまった.カサ・ダヤの組織としての土台のなさ,運営力のなさを証明してしまっているわけであるが,ストリート・チルドレンにせよ危機的状況にある子どもにせよ,子ども達の将来に直接的に影響を及ぼす定住施設の運営をおろそかにしている現状は,支援組織としてあるまじき姿といえる.施設入所希望者の減退にもつながるであろう.
こうした状況を打破するためにも,今いる子ども達への支援を第一に考え,活動していく必要がある.以上がカサ・ダヤに関する報告である.