風邪をひいた。帰国してすぐにバイトを再開させたり、大学院に赴いたりとあわただしく時間が過ぎている。疲れが癒えぬまま邁進しているせいだろう。
友人のブログを久しぶりにチェックし、「ジュリ馬」のことを知った。売春に関する記事であり、戦争や、人というものを考えさせられる内容の記事である。私自身、戦争や沖縄よりも売春というモノの方が身近だ。売春婦にも知り合いがいる。春を鬻ぐことが、女性としてどれほど「かなしい」ことかもそれなりにわかる。
背後にあるのは、不公正な社会の不平等な現実だと思う。
最近、私が働くダヤという施設の同僚と「公平」についての議論を行った。公平は、平等とは違う。日本人には理解しにくい意識だと思う。どちらかといえば、権利思想や正義感に基づいた価値観で、社会的公正に近いと思う。
おかれた立場や、身体的特徴、メンタリティなどを合わせた上で、人としてどのように人間性を実現し、生きていくかを問うために、補償されている権利と捉えるとわかりやすい。しかし、この公平性を実現することは容易ではない。現在、平等意識だけが先行して、背景にある「違い」を認めてはいない。不公正な現実のまま、事実上の平等をといえば、不公平になる。
売春婦が組合を作らなければならないのは、春を鬻がざるを得ない状況を無視した中で、見せ掛けの「平等」を実現しようとした結果のように思えてならない。解決すべきは、不公正な現実ではないのか。