ストリート・チルドレンは政治的な言葉だと思う。
だって、ラテンアメリカのって、わざわざいっちゃうんだもの。あめりかでもなく、中南米でもなく、アングロサクソンアメリカに対するラテンアメリカ主義の文脈が見え隠れするようにね。
西欧の子ども観の押しつけによってストリート・チルドレンは社会問題化されたけれど、同時に、そういう西欧にしいたげられたわれわれラテンアメリカの子どもの問題っていうロジックが、途上国に受け入れられたんだろう。
ホームレス・チャイルド、ストリート・キッズや、バグ・チルドレンなんかじゃ、ここまで受け入れられなかったのだと思う。
そういう意味では、やはりフレイレがストリート・チルドレンの定義に関与していたことはすごい政治的で、メッセージ性があって、かつ、フレイレ自身の先見性がみとめられることなんだなぁって、ぐうの音です。