サクラメント州立大学のとある心理学教授の、講義時に学生にスナックを用意させる慣わしがついに途絶えたらしい記事がAPに掲載されていた。
スナックならまだいい。いや、良くないか。
でも、まぁ、30年以上続いた、ジョークってのはそれなりに歴史的価値がある気もする。
ところ変わって、千葉の某私立大学大学院の、とある講義では、教授サイドから講義時にお茶とお茶請けだけではなくて、花まで要求されているとのこと。
毎回、院生が実費で購入し、講義の前にいけているそうだ。
場所と、時代を考えようよ。
少なくとも、院生に負担させるのはどうかと思うぞ。
ちなみにその講義、福祉関連の講義なのですが、院生には福祉的ではない講義のようですwww
この話には、もう一つ尾ひれが付く。
この講義の花を準備する院生がどうやら特定ひとりらしい。
皆、基本、負担しないから文句を言わない構造(黙認する構造)がある。
しかも、ひとりの、その花をもってかえって「使いまわす」という言葉に皆が乗っかっている。
こうした学び方をしていった方々が、福祉の現場でなにをするんだろう。想像すると、ぞっとする。