メキシコでは、道ができて、バスが走り始めると、その途中にバラックが建ち始める。
なんども目にしてきた光景だが、都市にやってきた、あるいは、都市の中で居場所を求めて移動する人々が道の端に暮らしはじめる。
道端に居場所を見出した彼ら・彼女ら。
高速移動する車からは一瞬の残像として残るだけで、人目に晒されながらも無視と無関心のおかげでプライベートな空間を作り出すことができた。
彼ら・彼女らは、移動経路に住むことの利便性・安全性(もちろん事故にあったりするから危険でもあるけど)プライバシーなどを確保できることを知っていたんだろうな。というか、経験的に知ったんだろうな。
その子どもが、家庭内暴力から逃れ、よりよい生活を求めた先も路上だった、というのはうなづける気がする。これって、ブルデューがいうところのハビトゥスにあたるのではないか。つまり、社会化過程において道に住むことを体得して、それを内面化していると考えられるのではないかということ。